今日は朝からいいお天気だったので、老母が畑に行っている間に食事をする部屋にある押し入れ形式の棚の中の瀬戸物類を処分することにしました。
なぜ老母がいない間にかというと、私が掃除や片づけを始めると老母は嫌な顔をして目を光らせるからです。勝手に物を捨てられたら困る、と思っているのです。
でも、ほとんどの物は実際には使うことはなく長年、ほったらかされている物です。本人は「使うかもしれない」と言いますが間違いなく使うことはないでしょう。
今日、処分することにした瀬戸物の湯吞茶碗や急須は棚の中に何年も・・いえ、10年、20年仕舞ったまま使っていません。
湯吞茶碗はたくさんあり、どんどん袋に入れていきましたが、何十個とあったと思います。湯吞茶碗とセットの急須もいくつもありました。
なぜ、こんなに湯吞茶碗と急須があるかというと、昔はお祝い事や仏事を家で行っていて、そういう時には親類縁者がたくさん家を訪れたからです。
そんな時代もあったねと~♫思わず口ずさみたくなりました。今では家を訪れる人なんてまったくいません。これからだってそうでしょう。
これらの物を捨てたがらない老母は、また使う日がくると思っているのでしょうか?思ってはいないでしょうが、物にたいする執着でしょう。
ごっそりと瀬戸物を詰めた袋を車に積んで清掃センターに持って行きました。
たくさんの湯吞茶碗と急須に未練はありませんが、少しばかりの寂しさを感じました。湯吞茶碗と急須にたいしてではなく家が賑やかだった頃を思い出してです。郷愁でしょうか。
時代はめぐります。でも今はしがらみがなく気楽ですね。
ところで湯吞茶碗や急須がなくなったことに老母が気づくことはないでしょう。今では老母が片づけや掃除をすることはななく棚の中を確認することもありません。
老母の頭の中には断捨離とか生前整理という言葉はありません。なので、このように老母の様子を見て、時々、色々と処分をしています。
読んで下さりありがとうございます。