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猫たちのトイレ問題いろいろ

野良の子猫たち2匹(サバトラ♂とキジトラ♀)は大きくなってきて行動範囲が広がったためか、日中、姿が見えないことが多くなりました。それとも、たまにウチにやって来るご近所の猫から身をかくしているのかな?行動が気になります。

ウチには2匹の猫がいます。茶トラ(♀)7歳と黒白のはち割れ(♀)10歳です。
黒白はち割れは、どうしてもトイレが覚えられませんでした。たびたび布団や洗濯物の上など、あちこちに粗相しました・・。(小です。大は外でします)ふかふかの上にしたくなるようですが、一度は私の仕事用バックの口が開いていたら、その中に入りしました・・。なので、うかつにその辺にものを置いておけませんでした。
そして周囲に物がなくなり、トイレにするかと思いきや、老母の座椅子に・・。座椅子を新調。最終的にそこが黒白はち割れのトイレになりました。老母は怒りますが、場所が決まっているなら安心です。座椅子にはペットシーツを敷いてあります。

茶トラは、ちゃんとトイレで排泄します。しかし・・大をしても砂をかけません。というか、大をした後、砂をかけず、トイレのへりの四方を一生懸命にカリカリと掻きます。大はそのまま鎮座しております・・。
砂をかけてるつもりなのでしょうか・・。でもトイレでしてくれるのでよしです。

家の側に老母の畑があります。
使っているのは畑の一部だけです。そこを耕し苗を植えると、どこかの猫がそこを掘り返し排泄します。やっぱりフカフカしている土が気持ちいいんでしょうね。しかし猫って目が悪いのに、よくいい場所を見つけますね。感心します。

親子猫たちは、どこをトイレにしているのかな?ちょっと不明です。

ウチの猫と野良の親子猫たちは、お互いの存在を認識しあっています。適度に距離感を持って遠回しに見ていますね。仲良くなるのは難しくても、お互いの存在に慣れてくれればいいのですが・・。うまく共存できるようにしたいです。

はっけよ~い!!
(右下に背後霊のような黒白はち割れ)

読んで下さりありがとうございます。

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雑記

時間のことなどつらつらと

一昨日、昨日と仕事は午後からでした。なので午前中はのんびりかというと・・そんな気分でもありません。午後から仕事だと思うと午前中から落ち着きません。午前中も仕事に縛られている感じです。
午後から仕事の日は、1日が長く感じます。なので午後からの仕事は好きではありません。
時間の感覚は人それぞれだと思いますが・・。

時間は状況により長く感じたり短く感じたりします。でも日々はあっと言う間に過ぎていきます。40代の頃は音速でしたが、50代になってから光速です・・。何だか怖くなります・・。

そういえば時間のことを日にち薬といいますね。辛いことや悲しいことがあっても時間が癒してくれるという意味。時間のありがたさを感じる言葉です。確かにその通りだと思いますが、心に残って消えないこともあるんじゃないかな。
私は、子供の頃、親によって捨てられた飼い猫のことを今でもよく思い出し辛くなります・・。
子供の頃は時間の流れがゆっくりで1年が本当に長かったです。でも無力だった子供の頃に戻りたいとはまったく思いません。

昨日、朝のTV番組で値千金の由来について説明していました。
由来は中国・北宋時代の詩人蘇軾(そしょく)の漢詩「春夜」の中の「春宵一刻値千金」という句です。春の夜は短い時間でも大変価値があるという意味だそうです。風情のあるきれいな句ですね。なんだか心に残りました。
人生も後半になり値千金と思えるような時間を少しでも多く持ちたいと思いました。

時間と言えば思い出す物語があります。
ミヒャエル・エンデの「モモ」とフィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」 2冊とも児童書ですが大人になってから読みました。時間の大切さや不思議さを感じるファンタジーです。絵空事ではなくファンタジーでしか表現できない真実ってあると思います。
児童書って侮れません。私は大人の小説より児童書の方が好きかもしれません。

それにしても年々、加速する時間。なんとか減速できないものか・・と最近、考えたりします。

読んで下さりありがとうございます。