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雑記

タイミング

コロナウィルスの感染者数も減ってきましたね。なによりです。
そして、マスクも供給が需要にようやく追い付いてきたのではないでしょうか?夫が昨日の午前中、ドラッグストアに行ったら店頭に「マスクあります」の張り紙が貼ってあったそうです。でも来店していた人たちの関心は薄かったそうです。もう足りているのかもしれません。そういえば私が少し前に久しぶりにマスクを買った町内の洋品店にも、まだまだたくさんのマスクがあるようです。

そして職場(介護施設)でも、ここに来てマスクの注文を受けるとのこと。1箱50枚入りで2,000円ちょっと。1箱注文しました。何だか、今度は逆にマスクが余りそう。個人的にも世の中的にも。

シャープマスクの抽選販売にも応募しました。まったく当たりそうもありませんが・・。そういえば、アベノマスクはどうなったのでしょう?まだ届きません。でも今となっては不用かもしれません・・。うーん・・ちょっと(・・というか、だいぶ)タイミングがずれてますね・・。2月、3月くらいだったら、ものすごくありがたかったのに・・。でも、もらえて、よかったという人もいるかもしれませんが・・。

タイミングは難しいですよね。後になって、よかったのか悪かったのか分かることもありますよね。

5、6年前、介護福祉士の試験を受けたのですが、試験日の5日くらい前に生まれて初めてインフルエンザに罹りました。予防接種をしていたのに・・。なんで、このタイミングで!と思いました。でも粉末の吸入薬で熱はすぐ下がり楽になりました。仕事は試験日まで休みになったので、おかげで集中して勉強できました。ある意味、絶妙なタイミングでインフルエンザに罹ったのでした。もう何日か後に発症していたら、試験は受けられなっかたですし・・。(試験は合格できました)

日々の生活の中では、猫たちの面白いポーズの写真を撮ろうとシャッターチャンスをいつも狙っています。タイミングよく撮れたり、タイミング悪く撮れなかったり・・。タイミングの難しさを猫たちは教えてくれます・・。

コロナウィルスにより多くの方々の生活に大きな影響が出ました。でも、それで見えたこともあるんじゃないでしょうか。仕事によりますが、会社に行かなくても自宅で仕事ができるとか・・学校が合わなくて行けない子も自宅で授業を受けられるのではないか、とか・・。

大変なことばかりのコロナウィルスですが、新しい生活を考える転換点になる気もします。

指を開いてパーをするシオです

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日々の出来事 雑記

心の自由と自粛生活

私は介護老人施設で働いています。介護度の高い方が多く、ほとんどの方が車椅子生活です。中には日中もベッド上で過ごされている方もいます。入所されている方が外出するのは、年に何回か病院受診する時ぐらいです。それ以外、施設から出ることはありません。たまにレクリエーションなども行いますが、基本的に単調な生活です。それが何年も続くわけです・・。灰色の生活・・。そう考えるとしんどい気持ちになりますが、それは私の目線ですね・・。

私が普段、接している入所者様に90代の女性がいます。四捨五入すれば100歳です。無口で静かな方です。今日の昼食後、この女性のオムツ交換をしていた時のこと。
「今日はね、よく眠れた」と話し出しました。「窓が明るくなって目が覚めた。いつも、夜中に一度は目が覚めるのに、今日は朝までぐっすりだったよ」いつになく明るい声でした。そして「最高だよ」と言って笑いました。めったにない女性の笑顔でした。朝までぐっすり眠れたことが、よほど嬉しかったのでしょう。時々、女性は些細なことですが楽しいことがあると、こんな風におしゃべりすることがあります。単調な生活の中にも色どりがあるのです。

以前、100歳以上の多くの方が多幸感を感じているという話を聞いたことがあります。歳をとり体が衰え思うように動かなくなくなっても、心は幸せを感じているのです。老いていく過程でポジティブな心境になっていくのか・・それともポジティブだから長生きなのか・・。百長寿(百歳以上)の方は、あらゆることに幸せを感じるようです。私には何だか不思議な気がしました。1世紀も生きれば、半分仙人のようなものかもしれません。

以前、前述の90代の女性が自分の人生を振り返り「いい人生だった」と満足そうに言ったことがありました。今度、「今は幸せですか?」と聞いてみようと思います。幸せであって欲しいです。

自粛生活は続きます。大変な方も多いかと思います。百長寿(百歳以上)の方のような心境には中々なれませんが、小さなことにも幸せを感じらる心でいたいと思いました。いろいろ物理的に不自由でも心は自由ですから・・。幸不幸は気持ち次第ですね。

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サイレントニャーと猫の野心

昔、一匹の野良猫が家にやって来ました。初対面の時から「ニャーニャー」と鳴きながら人のところに寄ってくる人なつこいメス猫でした。そして、この猫は、声を出さずに鳴くサイレントニャーをよくする猫でした。人の顔を見て声を出さずに口だけパクパク動かすのです。これは猫にとって最大の愛情表現らしいです。黒白の猫でしたが、クロと呼んでいました。家に置いて欲しかったのでしょう。クロは一生懸命、私を見て口をパクパクさせました・・。

当時、家にはチビというメス猫がいました。クロはチビに敵対心を持っていて、チビを追いやろうとしました。一度、チビが顔にケガをしていたことがありましたが、多分クロのせいだと思いました・・。一所懸命、サイレントニャーをするクロには、チビに成り代わり家の猫になりたいという野心があったようです・・。どうしたものか・・と考えていたら、クロはそのうちお隣の家に移って行きました。飼い猫になったといっていいかは分かりませんが、お隣でご飯はあげていました・・。

少し前に、家の猫になったオス猫のギンタとメス猫のムギの銀麦きょうだい。今ではずい分とフレンドリーになり「ニャーニャー」と鳴きながら寄ってくることもあります。家の中では当たり前のように、その辺でゴロッとしていたりします。顔を近づけスリスリすることも出来ます。
そんな銀麦きょうだいのムギが、ある時、口をパクパク動かして私の顔を見たのでした。ムギはサイレントニャーをしてくれる猫だったのです!何だか、うれしいと思っていたのですが・・・。

家には先住猫のシオとキナコがいます。シオは放し飼いなので、ずい分前から銀麦たちとは顔なじみです。しかし、完全室内飼いのキナコとは面識がほぼありませんでした。それぞれ別々の部屋で過ごしていましたが、キナコのいるところにムギが入ってしまったことがありました。でもその時、何事もなく大丈夫だったので、時々同じ部屋で過ごしていました。最初は遠巻きに見ていたムギですが、たまにキナコを見つけると追いかけるようになりました。キナコの方が3倍くらい体が大きいのですが、キナコが怯えて逃げます・・。

キナコにはマイハウス(2階建てのケージ)があるので、ムギに追いかけられたらそこに入れます。そうすれば安心ですが、この前ムギがキナコのケージの近くで監視してることがありました・・。怖い・・。ムギは最近、強気です。何か野心があるのでしょうか・・。

ちなみにギンタは、マイペースで我関せず、といった感じで過ごしています。

そして、余談ですが、クロはシオのおばあさんです・・。

相変わらず仲良しの銀麦きょうだいです

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日々の出来事 雑記

老母のライフワーク

昨日は休みで、午前中、老母と一緒に買い物に行きました。スーパーで食材を買った後、老母の希望でホームセンターに寄りました。老母はすだれと干し網とゴーヤの苗を買いました。すだれを小さく切り干し網に入れて、その上に芋をのせて干し芋を作るとのこと。上手く作れるでしょうか?楽しみにしたいと思います。ゴーヤは買う予定ではなかったそうですが、作りたくなったとのこと。

少し前、老母は庭の一部にジャガイモの苗をいつの間にか植えていました。男爵とキタアカリの2種類です。いつも野菜を作っていた畑には、イノシシがやって来て育った野菜を食べてしまうため場所を変えたのです。他に庭にはブロッコリーも植えてあります。玉ねぎは、イノシシが好まず食べないので、変わらず畑で作ってます。玉ねぎの辛みがだめなんでしょうね。

しかし、体のあっちが悪いこっちが悪いと年中訴えて病院に行っている老母ですが、野菜作りに対してはやる気が衰えません。何だか不思議です・・。野菜作りがライフワークなのかもしれません。

数日前、玉ねぎを何個か収穫してきました。(茎が倒れると収穫時です)これから、しばらくは玉ねぎを毎日のように食べます。シンプルですが、スライスした新玉に鰹節をかけてポン酢で食べるのが好きです。暑くなってくるとサッパリしたものが美味しいです。
そしてブロッコリーの房もだんだん大きくなってきました。そろそろ食べられそうです。

新鮮な野菜を食べられるのは嬉しいですね。色々ありますが、そのことに関しては老母に感謝です。

今日は満月です。5月の満月はフラワームーンというらしいですね。花が咲き誇る季節だからだそうです。夜、ゆっくりと庭で満月を眺めようと思います。老母の植えた野菜も満月に照らされ輝いているでしょう。

そういえば今日は、ブログを始めて半年になります。半年は一つの目標でした。第一関突破ですかね。細く長く続けられたらと思っています。そして、こんなブログを読んで下さる方に感謝です。ありがとうございます。

玉ねぎです。茎が倒れたら収穫です。
茎は自然に倒れます。

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日々の出来事 雑記

禁断の花と雑草

昨日の昼下がり、仕事から戻り簡単な昼食を済ませてから、庭の草取りをしました。以前、ホームセンターで購入した振動で根こそぎ草を抜く機械とカマを使っての作業。アザミやドクダミ、その他名前の分からない雑草が生い茂っていました。マムシグサも生えていました。マムシグサは毒があり、うっかり触るとかぶれます。取ってしまおうかと思ったのですが、花が咲くのを待ってみることにしました。

何年も前、どこからやって来たのか、庭にユリが生えてきて花を咲かせました。白いユリでした。ユリは年々、増殖して庭のそこかしこで咲きまくりました。そんなユリを、なぜか老母は気味悪がり生えてくるユリをむしり続けました。そして、いつしかユリは生えてこなくなり庭から消えました・・。

私は画家ジョン・シンガー・サージェントの作品「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」が好きです。ユリ、カーネーション、バラが咲く庭で提灯を灯す二人の少女が描かれています。叙情的なすてきな絵です。
私は文庫本より小さいサージェントの画集を持っています。この画集の巻頭に「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」が載っています。時々この絵を眺めると、ユリが咲きまくっていた庭の光景を懐かしく思い出します・・。ユリを植えてみようか・・と考えたこともあります。しかし・・。

後日、ユリは猫にとって致命的な中毒を引き起こすことを知りました。今も昔も家には猫がいます。また庭には時々、ご近所の猫がやって来たりします。庭に植えることも、部屋に飾ることも憚れます。ユリは私の家にとって禁断の花だったのです・・。

草取りは1時間ちょっとでやめました。まだまだ、取り切れません・・。これからの季節、雑草は取っても取っても生えてきて、うんざりします・・。ユリのように庭からなくなることはありません・・。よく雑草魂と言いますが、雑草のしぶとさや驚異的な生命力の強さを実感します・・。

ジョン・シンガー・サージェントの小さな画集
「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」


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