本来だったら23日は燃えるゴミの日でした。でも23日は祝日でゴミの収集はなし。家にゴミを置いておくのも嫌だなと思い、昨日、清掃センターに持って行きました。
通常、燃えるゴミに関しては市指定のゴミ袋で出さなければいけません。なので昨日も市指定のゴミ袋に入れて持ち込みしました。しかし清掃センターの人に「持ち込みの場合は指定のゴミ袋でなくていい」と言われたのでした。市指定のゴミ袋はゴミステーションに出す時に使用するものとのこと。えっ、そうなの?(東急リバブルのCM風 笑)初めて知りましたよ。
市指定のゴミ袋は市内のお店で購入していますが割高です。 燃えないゴミに関してはゴミ袋の指定はないので割安な既製品を使っています。 燃えるゴミを指定のゴミ袋で出さなければいけない理由は何なのかな、と以前から何となく疑問に思っていました。そして昨日、持ち込みしたら指定のゴミ袋でなくてもいいと言われ、ますます指定のゴミ袋を使用する理由がよく分からないな、と思いました。
ウソかホントか分かりませんが、燃えるゴミも燃えないゴミも結局一緒に燃やしているという話を聞いたことがあります。もし、そうならば高いゴミ袋をわざわざ買う必要がないのでは・・。エコとかリサイクルの大切さを思う反面、胡散臭さも感じてしまいます。
文明が発達し、手間暇かかった様々なことから解放されました。例えば洗濯機などの発明により家事が楽になり自由な時間が生み出されたわけです。人生=時間だと思うので、自由な時間が増えるのは人生を有意義にするために重要なことです。文明の発達は、そのためにあると思っています。
しかし、ゴミの分別は文明の発達と逆をいっていますよね。ゴミの分別は細かくて手間暇かかり、時間を奪われます。本来はもっとゴミの分別は簡略化していく方向に向かうべきなのでは・・。細かく分別しなくてもゴミ処理できるようになった方がエコなのでは、と思ったりします。
読んで下さりありがとうございます。