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思い出 日々の出来事

年賀状の宛名書きに試行錯誤

利用者の方(デイサービス)の連絡票を書くのですが、なぜか上司に「字がきれいですね」と言われることがあります。今まで、そんなこと言われたことがないので、ちょっと驚き気恥ずかしい気持ちになります。正直、字が下手で書くのは苦手。ただ連絡票は私が書きやすい横書きなのでパッと見はきれいにみえるのかもな・・と思っていました。

ところで昨日、上司に呼ばれ何かと思ったら、利用者の方に出す年賀状の宛名書きの仕事を頼まれました。「字がきれいなところで」と言うので、とんでもない!と思い断りたいくらいでした。横書きはまだいいのですが縦書きは本当に苦手。しかし、やらないわけにもいかず、”私が書いていいのかね?”と思いながら書きました。

住所より宛名の方が難しくて、小さすぎたかな・・と思い、次は大きめに書いたら何だかバランスが悪くなったり、真ん中に書いたつもりが、ちょっと右寄りになっていたり・・ 。また年配者の名前はカタカナやひらがなも多く、漢字よりバランスよくきれいに書くのが難しかったです。シンプルな分、ごまかしがきかないというか・・。試行錯誤の宛名書きでした。

今時、宛名を印刷ではなく手書きにする理由をなんでしょう。特に上司には尋ねなかったのですが、表も裏も印刷ではやはり、そっけなく感じるからとかですかね。

書いているうちに15年くらい前に事務職で勤務していた会社のことを思い出しました。そこでは何百件とある取引先やお得意様に出す年賀状の文面は印刷でしたが宛名は手書きでした。

印刷より手書きの方が温かみがあるので宛名くらいは手書きで、という上の人の考えによってです。
宛名書きは事務の仕事で字の下手な私にとっては正直苦痛でした。1人ではなく2、3人で分担して書いたのですが、枚数が多く温かみもなにもやっつけ仕事になり書き終えると解放感が大きくて字の下手さはどうでもよくなっていましたね。

しかし昨日は何とか宛名書きを終え、改めて書いた宛名を見ると、下手だな・・としみじみ思い、ちょっと落ち込みました。でも、もう届けばよし、と開き直りました。何で私に白羽の矢が立ったのかな・・と疑問でしたが、年賀状の宛名書きは字の上手い下手というより新人職員の仕事なのかもな・・と思いました。

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思い出 雑記

命運を分ける0.数秒~生きているのが奇跡に感じた瞬間

一昨日の夜、夫が車同士の事故を起こしました。九死に一生~不幸中の幸いと思うしかない・・夫も相手方も怪我がなくホッとしましたが、もし夫の車があとほんの0.数秒、早く通り抜けていたら事故は起こらなかっただろうにな・・と詮無いことを考えてしまいます。でも一番最悪のパターンは、夫の車が0.数秒遅れていて相手方の運転席に突っ込んでいたことですね・・。それを考えたら重ね重ね怪我がなくてよかったです。

車を運転していると、ほんの一瞬が命運を分けることがあります。以前、19歳の女性が運転する車に落石が直撃して女性が亡くなったというニュースを見たことがあります。なんという不運・・。本当に気の毒でしょうがありませんでした。そして私にもほんの一瞬が命運を分けた経験があります。

何年も前、私が住んでいる地域に新しいトンネルが開通しました。ある日、老母とドライブがてら出かけ、そのトンネルを初めて通りました。トンネルを抜けると畑や野原が広がっていてトンネルから続く道が1本続いていました。初めて見る景色。私は吞気に車を走らせていました。

しかし、しばらくして私の車のすぐ後ろを1台の車がよぎり走り去っていったのでした!えええ!!私は驚愕して凍り付きました。1本道だとばかり思っていたのですが、交差する道が1本通っていて交差点があったのです。そのことにまったく気づいていなくて車が近づいてきていたことも分かりませんでした。
おそらく走り去った車も私の車に気づいていなかったと思います。私の車も走り去っていった車もそれなりにスピードが出ていました。

しばらく心臓がドキドキしていました。あと0.数秒、交差点を通るのが遅れていたら衝突して大惨事になっていたことでしょう・・。私も老母も走り去った車に乗っていた人も今頃、どうなっていたことやら・・。命運を分けた一瞬でした。大袈裟ではなく生きているのが奇跡のように感じられました。

それにしても、その交差点は分かりにくくて危ないと思い不必要に通らないことにしました。その後、久しぶりにトンネルを通ることがあったのですが交差点に信号機が設置されていました。やはり危険な交差点だと認識されたようです。よかったと思いました。それからは安心してその道を通るようになりました。

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思い出 日々の出来事

タトゥーや刺青をする人たち、それぞれ

昨日は終日雨でしたが、今日は晴れ間が広がりました。午後、夫と海に行くことにしました。行ったことのない場所で目的はイルカの耳骨探し。何でもそこの海岸付近でイルカの耳骨が見つかったという話を夫が聞いたからです。イルカの耳骨はビーチコーミングに行くたびに探すのですが、なかなか見つかりません。そうそう、ないものですからね。今回も見つかるとは思いませんでしたが、ドライブもかねて行ってみることにしました。

そして長い海岸線を車で行くと、道沿いの所々の空き地にサーフィンに来ている人たちの車が停まっていました。その内の一か所で男性が着替えていて背中を道の方に向けていたのですが通り過ぎる瞬間、背中一面にタトゥーが入っているのが見えました。一瞬のことで、どんな絵が描かれているかまでは分かりませんでしたがインパクトが大きかったです。

でも今はタトゥーもファッションとして入れる人も多く珍しくはないかもしれません。私も身近でタトゥーを入れていた人たちがいたことを思い出しました。

昔の職場で、左右どちらの手だったか忘れましたが、手の甲の親指と人差し指の間にいつも絆創膏を貼っている若い女の子がいました。不思議に思っていたら星型の入れ墨が入っていたのでした。気心が知れるようになってから教えてくれました。女の子は手だけでなく他のところにもタトゥーを入れているようでした。

そして今度は別の職場でのこと。左右どちらの手首だったか忘れましたが、いつもリストバンドをしている若い男の子がいました。介護の仕事で入浴介助もあるのですが絶対にリストバンドを外しません。もしかしたら・・と思っていたらタトゥーが入っていたのでした。こちらも気心が知れてから教えてくれました。

ちなみに男の子のタトゥーは漢字一文字です。いい意味合いの漢字ですが、正直、私はちょっと気恥ずかしさを感じました。タトゥーって、若気の至りで入れてしまい後々、後悔することも多いのでは。かっこいい、と思っていたものが、時が経ちダサく思えてきたり・・。もっとシビアな問題も起こるかもしれません。安易に入れるものではないですよね。

絆創膏とリストバンドの下の小さな秘密。もしかしたら時を経て大きな秘密になってしまうかもしれません。

海よりも空が青かった

そして海に到着。広くはない海岸でした。そして結局、というか、やっぱりというか、イルカの耳骨は見つかりませんでした。求めるほどに見つからないものかもしれません。でも小さなサンゴの化石を一つ見つけました。

あと、なぜか海岸のあちこちにフグが打ち上げられていました。原因は不明。ふと、打ち上げれたフグを見て思い出したことが・・。

これも昔の職場でのこと。私より一回り年上の女性がいたのですが、その人が何かの話の流れで「(亡き)父親の背中に入れ墨が入っていた」ということを言いました。ええっ・・年齢的にファッションで入れ墨を入れる世代ではありません。もしかして、この人の父親は、怖い関係の人?と思いましたが、聞き流しました。

後に女性の父親は漁師で、もし海でなにかあり命を落とし遺体が海岸に流れ着いた場合、身元の確認のために入れ墨を入れていたのでした。入れ墨を入れてる漁師は多い、とは夫談。いろいろな理由があるものです。

しかし打ち上げられたフグを見て思い出すというのも失礼な話かもしれませんが・・。

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お出かけ 思い出 食する

長崎チャンポンと旅の思い出

昨日のお昼は夫と九州ラーメンのお店に行きました。家からは遠い場所にあります。午前11時半頃に家を出て高速を使い到着したのは12時半頃でした。お店はいっぱいで、しばらく並んで待ちました。

ようやくテーブルに着き、夫も私も長崎チャンポンを頼みました。私がこのお店を訪れるのは2回目で長崎チャンポンを頼むのは初めてです。何回か訪れたことのある夫が、ここの長崎チャンポンが美味しいので食べに行きたいと言うので来たのでした。(このお店は夫の職場の近くなのでお昼に利用することがあります)

そして私も昔、長崎の中華街で食べた長崎チャンポンがすごく美味しかったことを思い出し食べたくなったのでした。

正直、長崎の中華街に行った時は拍子抜けしました。私は横浜中華街のような数えきれないくらいお店がある賑やかな場所を想像していたのですが、はるかに規模が小さかったのです。お店も少なく、見どころもなく、正直、期待外れでした。

でも夕飯時も近かったので、中華料理のお店に入ってみました。そして長崎チャンポンを頼んでみたら、すごく美味しかったのです!せっかくだからと欲張り他にも色々頼みましたね・・。

長崎には老母と行きました。長崎の街をブラブラしたことを懐かしく思い出します・・。あー・・またどこかへ遠くへ行きたいな・・。今、時間はたっぷりあるのですが、コロナがね・・。

長崎の孔子廟で買ったパンダの小さな置き物

ようやくチャンポンが運ばれてきたのは13時20分頃でした。びっくりするほど野菜がてんこ盛りでした。麺が見えません。でも野菜好きなので嬉しかったです。そしてラーメン屋さんなのにヘルシーな感じ。味も期待通り美味しかったです。でも長崎で食べたチャンポンの方がさらに美味しかったかな。

ただ長崎のチャンポンには旅先という気持ちの高揚感がプラスされていて、美味しさもアップしていたのかもしれませんね。

昨日、食べた長崎チャンポン

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思い出 雑記

青紫の花が美しかったお寺と遺骨

昨日はお彼岸でした。お墓には数日前、老母と行きました。そして色々なことを思いました・・。

数十年前、父親がお墓を新しく建てた時、幾つもあった古いお墓をまとめて一つのお墓にしました。古い墓石は建てたお墓の周囲や墓地の他の場所に置かれています。

風化したたくさんの古い墓石からは長い長い時の流れを感じます。そして複雑な気持ちになります。私には子どもがいないので将来、墓守はいなくなります。そうなると分かっているなら墓じまいをしなければなりません。でも面倒で実際に取り掛かる気持ちには中々なれないのでした・・。

私自身はお墓は不要です。お参りしてくれる人もいないだろうし。葬式もなくていいです。遺骨に関してもその辺に適当に撒いてもらってかまわないと思っています。

遺骨と言えば印象に残っていることがあります。

数年前の6月、大阪に行った時、一心寺というお寺の側を通りました。天気のいい日で塀の上を見上げると青紫の花が咲き誇っていました。初めて見る花で神秘的な美しさに目を奪われました。(あとで調べたらジャカランダという花でした。)

この花につられて一心寺に入ると、たくさんの人が訪れていました。何かが行われているようですが、よく分かりませんでした。

頂いた案内文を見ると、お骨仏のお披露目とやらが行われている期間のようでした。せっかくなので私もお骨佛にお参りしました。お骨佛の白さが印象的でしたが、それもそのはず、お骨仏は遺骨から造られていたのでした。

このお寺では、宗派を問わず遺骨を受け入れ10年分をまとめてお骨仏(阿弥陀如来像)を造っているとのことでした。初めて知った時は斬新だなと思い驚きましたが、このような形の供養もあるのだと興味深かったです。

昨日ちょっと、調べたら一心寺は今年から受け入れ制限に踏み切ったそうです。納骨件数が急増してしまったためのようです。宅配便で遺骨を送り付けてくる遺族もいるとか・・。そのような遺骨は返送するそうです。そりゃそうですよね。

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