カテゴリー
仕事 日々の出来事

爪切り~女性の人生と信頼関係

パート先のデイサービスで何となく私がやることになっているのが利用者の方々の爪切り。

高齢者の爪は、巻き爪や分厚い爪(高齢者の足の爪に多いです)など切るのが難しかったりするので誤って指先の肉を切ったりしないよう神経を使います。

なので爪切りをする時は、必要最低限の会話しかしません。雑談をしながら爪切りができないのです。基本的に淡々と爪を切りヤスリで整えます。

爪切りを終えると皆さん爪をジッと見て、ほがらかに「ありがとう」と言ってくれます。女性の場合は、さらに「きれいになった。ああ、気持ちがいい」という言葉が足されたりします。

爪がきれいになると気分もすっきりするのでしょう。

高齢者の爪切りをするのは神経を使うけれど嫌いではありません。

************************

ところで利用者の方で100歳の女性がいます。認知機能が衰えているので私のことを認識してくれているのかは定かではありませんでした。

でも昨日、その100歳の女性が来所した時、私に「手の爪を切ってもらいたい」と言いました。私のことを爪を切ってくれる人だと認識してくれているようです。ちょっと嬉しくなりましたね。

さて100歳の女性の手は小さく指はほっそりしていて爪は薄くてきれいです。切りやすい爪なのですが小さいので慎重に切っていきました。

また昨日は新規の80代半ばの女性がきたのですが、この方の手の爪も伸びていたので爪切りをしました。

この女性の指と爪は100歳の女性とは対照的で、指は太くてゴツゴツしていて爪は固くてしっかりしていました。爪を切るのに力がいりましたね。

二人の女性の手指と爪にそれぞれの人生が感じられました。男性より女性の方が手指、爪に人生が表れるような気がします。

************************

ネイルサロンって行ったことはありませんが、爪の手入れや装飾をしながらネイリストの方と色々な会話をするようです。爪をきれいにすると共に会話することが癒しにもなるようですね。

私も爪切りをしながら利用者の方々ともう少しいろいろな会話ができたらと思ったりしますが、無理に会話をしなくてもいいかなと考えています。

安全にきれいに爪切りをすることで信頼関係が築けているように思うからです。

読んで下さりありがとうございます。

カテゴリー
日々の出来事

連日の困った訪問者~敬遠する気持ちと分かるような気持ち

昨日、仕事が早めに終わった夫は午後2時頃に帰宅しました。そして一休みしてから庭掃除をしてくれました。

その間、私は出かけていたのですが帰宅すると夫から「庭掃除をしていた時、Fさんという人が訪ねてきたよ」と言われました。

Fさん?心当たりがなく最初は誰だか分かりませんでしたが「○○(以前働いていた職場)で一緒だったって言ってた」と言われ思い出しました。

Fさんは70代半ばくらいになる女性で私よりも先に退職しました。ウチから近い場所に住んでいますが部落が違うので全く会うことはありません。でも、なぜか一年に一度くらい突然、思い出したように電話をくれたりします。

そんなFさんがなぜ突然、訪ねて来たのでしょう?

夫が「○○宗がどうのとか言ってたよ」と言いFさんが持ってきたという印刷物を渡されました。それは宗教関係のものでした・・。

なんとFさんは私を宗教に勧誘するために来たようです。ちなみに一緒に働いていた時にFさんから宗教の話を聞いたことはありません。

Fさんは、いい人ですが、かなり天然でおかしなところがあります。

電話がきたら面倒だなと思いましたが、宗教嫌いの夫が冷ややかな態度で受け答えをしておいたと言っていたので宗教の話はもうないだろうと思っていました。

ところが今日の午後、家にいたのですが誰かが来たようだったので外に出るとFさんと、なんともう一人女性がいたのでした!うわあ・・と思わず引いてしまいましたよ。

まさか、昨日の今日でまた来るとは思いませんでした。

出なければよかった・・と思いましたが時すでに遅し。昨日と同じ印刷物を渡されました。そして話し始めた女性・・。

でも全く入信する気はないので「ウチは真言宗なので」と断りました。すると女性は「それは邪宗(!?)で家のことしょう。これは個人でやることだから」云々と言い募りました。

しかし私の態度から迷惑がっているのを察したのか早々に話を切り上げ帰って行きました。ふう・・。連日の困った訪問者でした。

ところでFさんがこの宗教に入ったのはつい最近のようです。

Fさんには事情があり籍を入れていない80代半ばの連れ合いの人がいるのですが、その人が施設に入ったことを昨日、夫がFさんから聞いていました。(夫とFさんは初対面。初対面の相手に話すことでもないと思うのですが・・・)

そうだとすると今、Fさんは独りで暮らしていると思われます。

遠方に住むお子さんが一人いますが(連れ合いの人の子ではありません)、あまり交流はないようなので、やはり、その辺の孤独感がFさんを宗教に向かわせたのかもしれません。

私も夫より長生きすれば、いずれは独りになります。その孤独を思うと宗教に傾倒したFさんを敬遠する気持ちがありつつ、分かるような気もします。

そしてFさんには子供がいますが、子供がいない私は天涯孤独になるわけで、その孤独に私は耐えられるだろうかと思ったりしました・・。

読んで下さりありがとうございます。

カテゴリー
日々の出来事

ガスコンロがつかなかった原因は・・

昨日の朝、お湯を沸かそうと、やかんをガスコンロに置きスイッチを押しました。しかし全く火がつきませんでした。

ええっ!なぜ?と思い何度かスイッチを押してみましたが、やはり全く火がつく気配はなし。

もう一口のコンロのスイッチも押してみましたが、やはりつきませんでした。開けたばかりの元栓も念のため見てみると、ちゃんと開いてます。

ガスの臭いはしませんでしたがガス漏れとかあるといけないと思い元栓を締めました。そしてコンロが濡れていたり汚れてないか、ガスホースが破損してないかなど確認しましたが特に問題はなさそうでした。

前の晩まで普通に使えていたのに故障!?今のガスコンロに買い換えてから4年ほどしか経っていません。故障するには早すぎる・・。

ガックリした気分で老母にガスがつかないことを伝えると「電池切れのランプが付いていたから換えたよ」と言われました。はあ?何ですって!

すぐに電池を確認すると単一電池2個のうち1個が+-逆になっていました。電池を入れ直すと無事ガスコンロに火がつきました。

老母は私よりも早起きで4時くらいに起きます。ガスコンロの電池切れに気付いた老母が換えてくれていたとは思いませんでした。

ガスコンロの火がつかなかったのは老母の仕業でした。・・親切でやってくれたことなので仕業という言い方はよくないかもしれませんね。まあ、故障じゃなくて、よかったです。

ガスコンロの電池切れを知らせるランプがついていなかったので電池のことに意識が向きませんでしたが、あとでググったらガスコンロがつかない原因は電池関係のことが多いようです。

老母のおかげで、ひとつ勉強になったと思うことにしました。

読んで下さりありがとうございます。

カテゴリー
からだと健康

お互い健康でいることがお互いのため

去年9月の健康診断で血圧が180台だった夫。その後、若干下がったけれど、どうも高止まりしている様子。病院に行くことを勧めているけれど「仕事が忙しくて行っている暇がない」とのこと。

そんなこと言っていて何かあったらどうするのかね。仕事どころじゃないよ。・・と言ったところで聞く耳を持たず。

そもそも健康診断で医師に高血圧の原因は仕事が多忙のためだろうと言われたのですが、その高血圧の原因は今だ解消されないまま。

このまま高血圧になってしまうのでは。いえ・・もう、なっているかもしれません。

血圧の薬は飲みだすと一生飲まなければいけないというし、病院に行くのが億劫で気が重いのは分かるけれど・・。

それでは何か自分なりに対処しているかというと、そういう感じもありません。

危機感があまりないようです。うーん・・。

もう少し暖かくなったら、夜、ウォーキングに夫を誘おうと思っています。仕事から帰った後でやる気があるか分からないけれど、ウォーキングなどの有酸素運動には血圧を下げる効果があるそうですから。

また、そろそろ新玉ねぎができる頃。玉ねぎも高血圧に効果があるようなので、たくさん食してもらおうと思います。

まあ、本当は一度病院に行ってもらいたいのですが・・。

夫に何かあると私も大変なことになってしまいます。その逆もしかり。お互い健康でいることがお互いの為です。

そんな当たり前のことを実感する歳になってきました・・。

読んで下さりありがとうございます。

カテゴリー
仕事 雑記

心に引っかかった言葉~長生きは迷惑?

パート先のデイサービスですが利用者が減り特に少ない水曜日の営業を2月からやめるという話でした。

しかし「どうしても水曜日に来させて欲しい」という方もいて完全に水曜日の営業がなくなることはありませんでした。

私の水曜日の勤務は状況により他部署だったりデイサービスだったり休みだったり。昨日はデイサービスでしたが少人数なので業務も少なくてのんびりでした。

時間に余裕があったので利用者の方々と色々会話をしましたが、ちょっと心に引っかかった言葉がありました。

それは90歳の女性の「長生きすると迷惑になるよと言われたけれど、ここまで来てしまった」という言葉。

いつ誰に言われたのかは聞きませんでしたが、身も蓋もない言い方です。でも、ある意味真実ともいえる言葉だと思いました。真実というのは時に冷酷で残酷に感じることがあります。

しかし生死は自分でどうすることもできないです・・。

おそらく、ごく近しい人に言われたのでしょう。近しい人ほどオブラートに包まず自分の気持ちを吐露してしまうことがあります。

距離感のある人に対しての方が優しくできたりしますよね。私も職場では”親切でいい人”と言われますが仕事ですからね・・。

自分の親に対しては、それほど優しい気持ちになれなかったりします。

ところで長寿は人間にとっての願いでおめでたいことだとされていますが、一方でそれを実現した超高齢化社会と言う言葉は暗く重苦しい・・。この矛盾は「長生きすると迷惑になるよ」という言葉にも通じているなと思います。

この矛盾を解決するには、やはり心身の健康ということなのでしょうかね・・。

私自身、介護施設で長らく働いてきて、長生きしたいかどうかというと心身の健康状態によりけりです。心身が健康で暮らせるなら長く生きてみたい。

あっ!もう一つ大問題がありました。お金です。今の社会で生きていくためにはお金が必須。長く生きれば生きるほどお金が必要になります。

長生きするというのは大変・・。

長寿はおめでたいかもしれないけれど幸福度には繋がっていないのが悲しいですね・・。

読んで下さりありがとうございます。